37年前の8月12日は…?
テレビでも慰霊のニュースを色々やっていたが1985年 (昭和60年) 8月12日はアノ痛ましい「日本航空123便墜落事故」の日、あれから既に37年も経つのか…。
今でも当時の記憶は鮮明にある。マダ社会人になって日も浅い頃だったがあの頃も無線オタクだった。直ぐに夕方の日航機の消息不明のニューステロップに釘付けになった。そしてテレビと一緒に航空無線をワッチ…。
当時は八重洲のコレを買ってマダ間もなかった頃だったハズ…。
無線機では無いが 60MHz~905MHz までカバーする広帯域受信機。コレにテレビ受信用のユニットを実装、アキバで入手したモノクロモニターの放出品をつなげて近隣国の TV なんかも受信していた。これで各種の航空無線を受信して当時の情報錯そう・混乱ぶりがリアルに良く判った記憶がある。
離陸は18:00 で実際の墜落は 18:56 だったか?その日は日付が変わるまでテレビのニュースと合わせて釘付けだった。ちなみにこの日は週の初め月曜日だった。
翌朝には航空機史上の最悪事態だった事が分かったが、開局以来の無線の業務日誌があるので当時のログと重ねると記憶の補完もできる。
前日の日曜は箱根の大観山で同僚と無線をやっていた。この日はサポート的役割でほぼログ書き専門、遠くの局が聴こえると自分の無線機から交信しただけ。北海道以外の西の局はグランドウエーブによる交信。144MHz の徳島市や神戸市なんかの局も 2.5W にアローラインだった。さすが 「1.5エリア」と言われる箱根!
ただ良く判らないのが事故同日は月曜日なのに昼過ぎ13時15分に 7MHz/SSB で交信している。官公庁にはお盆休みは無いが半日単位で業務に支障無い前提で応分の休暇が付与されていた。そんな午後半休を使っていたのか?そこまでの記憶は無い。
当時は独り暮らしでビルの屋上は使い放題だったので 7MHzのワイヤー水平DP にエンドローディングで更に下のバンドも運用。高さは25mほどあるが実効高は5mほど、そんな打上角度の高いアンテナで良く 3.5/7MHz も楽しんでいた。
当時の悲惨な航空事故をリアルに記憶しているのは40代半ば以降か?昭和も随分と遠くなったものだなと思う今日この頃…。